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東京地方裁判所 昭和45年(ワ)8272号 判決 1974年4月18日

原告(反訴被告)

丸山明

右訴訟代理人

朝山豊三

被告(反訴原告)

明治物産株式会社

右代表者

藤谷祐一郎

右訴訟代理人

飯塚孝

主文

被告(反訴原告)は原告(反訴被告)に対し金一〇、四三四万六、七二二円およびこれに対する昭和四五年九月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告(反訴被告)のその余の請求を棄却する。

被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。

訴訟費用は本訴反訴を通じて一一分してその一を原告(反訴被告)の負担とし、その余を被告(反訴原告)の負担とする。

事実

第一  双方の申立

一  原告(反訴被告、以下単に原告という)

(一)  被告(反訴原告、以下単に被告という)は原告に対し金一一、八九六万五、二二二円およびこれに対する昭和四五年九月五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

仮執行の宣言。

(二)  被告の反訴請求を棄却する。

反訴費用は被告の負担とする。

二  被告

(一)  原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

(二)  原告は被告に対し金四七九万五、四七八円およびこれに対する昭和四五年一〇月二一日から支払ずみまで年六分の割合による金員を支払え。

反訴費用は原告の負担とする。

仮執行の宣言。

第二  双方の主張

(本訴請求について)

一  原告の請求原因

(一) 被告は、東京穀物商品取引所、東京ゴム取引所、横浜生糸取引所、前橋乾繭取引所等の各会員で主務大臣より許可を受けた商品取引員である。原告は被告に対しその五反田出張所を通じて次のように先物取引の委託をしその証拠金を預託した。荒井伸介名義をもつて昭和四五年四月二四日より横浜生糸、前橋乾繭、東京大手亡の、丸山裕隆名義をもつて同年七月一日より横浜生糸、前橋乾繭、東京ゴムの各先物売買取引をすることを委託していた。

(1) 昭和四五年五月四日荒井伸介名義で横浜生糸取引所における生糸の先物取引の委託をしその委託証拠金として

(イ) 昭和四五年六月五日三、五〇〇万円

(ロ) 同月二七日    一、〇〇〇万円

合計 四、五〇〇万円

(2) 同年五月八日荒井伸介名義で前橋乾繭取引所における乾繭の先物取引の委託をし、その証拠金として

(イ) 同月二一日 三八〇万円

(ロ) 同月二五日 九一万四、八〇〇円

(ハ) 同月二六日 一〇〇万円

(ニ) 同年七月二四日 五〇〇万円

(同月一六日入金振替)

合計一、〇七一万四、八〇〇円

(3) 同年四月二四日荒井伸介名義で東京穀物取引所における大手亡の先物取引の委託をし、その証拠金として

同年四月二四日 一五〇万円

(4) 同年七月一日丸山裕隆名義で前橋乾繭取引所における乾繭の先物取引の委託をし、その証拠金として

同年七月一六日 二、五〇〇万円

(5) 同年七月一日丸山裕隆名義で横浜生糸取引所における生糸の先物取引の委託をし、その証拠金として

同月三日 三、五〇〇万円

(6) 同月一日丸山隆裕名義で東京ゴム取引所におけるゴムの先物取引の委託をし、その証拠金として

同月三日 一、〇〇〇万円

(二) 原告は、被告に丸山裕隆名義で同月一日より六日までの間別紙(七)丸山裕隆第一売買明細表番号1ないし20のとおり横浜生糸取引所の生糸の先物取引を委託し四四五万五、〇〇〇円の利益を得た。

(六) 原告は、同年七月二八日被告に委託していた先物取引は、いずれも終了した。

(四) 本件訴状は、同年九月四日被告に送達された。

そこで、原告は被告に対し(一)(1)、(2)、(4)および(5)の証拠金の全額と(3)のうち四二万六、〇〇〇円(証拠金一五〇万円から大手亡の取引による損金一〇七万四、〇〇〇円を差し引いたもの)、(6)の証拠金のうち二五九万三、〇〇〇円(証拠金一、〇〇〇万円から右ゴム取引による損金七四〇万七、〇〇〇円を差し引いた残額)との合計一一、八七三万三、八〇〇円と(二)の利益金のうち二三万一、四二二円(利益金四四五万五、〇〇〇円から、弁済を受けた三九〇万五、四〇〇円、荒井伸介名義の前橋乾繭口座不足分四、七六〇円、保管料不足分二万一、八一八円および丸山裕隆名義の前橋乾繭口座不足分二九万一、六〇〇円を控除した残金)との総計一一、八九六万五、二二二円と右金額に対する昭和四五年九月五日から支払ずみにかたるまで民事法定利率年五分の割合の遅延損害金の支払を求める。

二 請求原因に対する認否

請求原因(一)ないし(三)の事実は認める。なお原告は、被告に対し(一)(1)の荒井伸介名義の横浜生糸口座に昭和四五年五月三〇日一五〇万円、同年七月八日一、四〇〇万円の証拠金を、(一)(2)の同人名義の前橋乾繭口座に同月一三日乾繭倉荷証券一〇枚、同月一六日二、五〇〇万円の証拠金および証拠金充用証券を預託した。また(二)の取引は、後記のように原告主張の日に終了したものではない。

三 抗弁および反訴請求原因

(一) 被告は、原告より委託を受けて、次のように商品先物取引をし、また中間利益金を原告に支払つた結果、原告は被告に対し一一、九〇一万二七八円の債務を負担する結果となり、被告は、同年八月一四日原告に右金額の支払を求めたが、応じないため各取引所受託契約準則に基づき原告主張の証拠金をもつてこれに充当したため、証拠金返還請求権は消滅し、原告はなお四七九万五、四七八円の清算金の支払義務を負担している。

(1)(荒井伸介名義の横浜生糸の取引)

被告会社は昭和四五年五月四日より同年七月二八日までの間、原告より委託を受けて荒井伸介名義をもつて別紙(三)売買明細表記載のとおり横浜生糸取引所における生糸の先物売買取引を行つた結果、被告会社は原告に対し売買差益金一一一万四、八〇〇円の支払債務を負担したが、他方売買手数料一、二六一万六、〇〇〇円の債権を取得した。

なお、被告会社は原告に対し右取引期間中に合計二、二二一万三、八〇〇円(内一三万七、六四〇円は荒井伸介大手亡口座の損金に振り替え)を中間利益金として支払つたので、右口座清算の結果、原告は被告会社に対し、同年七月二八日現在で三、三七一万五、〇〇〇円の清算損金債務を負担するに至つた。

(2)(荒井伸介名義の前橋乾繭の取引)

被告会社は昭和四五年五月八日より同年七月二七日までの間、原告より委託を受けて荒井伸介名義をもつて別紙(四)売買明細表記載のとおり前橋乾繭取引所における乾繭の先物売買取引を行つた結果、被告会社は原告に対し、売買差損立替金二、二三六万六、〇〇〇円および手数料四四四万六、〇〇〇円合計二、六八一万二〇〇〇円の債権を取得した。

なお、被告会社は原告に対し右期間中に合計六六一万一、二五八円(内一〇万六、三六〇円は後記荒井伸介大手亡口座の損金に振り替え、二万四、四九八円は保管料として立替支払)を中間利益金として支払つたが、同年七月三一日原告より乾繭現物引取代金一、三〇〇万二、六八〇円の支払を受けたので、右口座清算の結果、原告は被告会社に対し二、〇四二万〇五七八円の清算損金債務を負担するに至つた。

(3)(荒井伸介名義の東京ゴムの取引)

被告会社は昭和四五年五月一四日より同月二六日までの間、原告より委託を受けて荒井伸介名義をもつて別紙(五)売買明細表記載のとおり東京ゴム取引所におけるゴムの先物売買取引を行つた結果、被告は原告に対し売買差損立替金三万三、〇〇〇円および手数料七万三、五〇〇円合計一〇万六、五〇〇円の債権を取得した。他方、昭和四五年五月二五日被告会社は原告に対し中間利益金一万二、〇〇〇円を支払つたので、右口座清算の結果、原告は被告会社に対し同年五月二六日現在一一万八、五〇〇円の清算損金債務を負担するに至つた。

(4)(荒井伸介名義の大手亡の取引)

被告会社は昭和四五年四月二四日より同年七月一五日までの間、原告より委託を受けて荒井伸介名義をもつて別紙(六)売買明細表記載のとおり東京穀物商品取引所における大手亡の先物売買取引を行つた結果、被告会社は原告に対し売買差損立替金一〇五万六、〇〇〇円および手数料九三万二、〇〇〇円の債権を取得した。

なお、被告会社は原告に対し右取引期間中に合計一四四万二、〇〇〇円を中間利益金として支払つたが、一方同年七月一一日前記横浜生糸および前橋乾繭の口座より二四万四、〇〇〇円の振替入金があつたので、右口座清算の結果、原告は被告会社に対し同年七月一五日現在清算損金債務一〇七万四、〇〇〇円を負担するに至つた。

(5)(丸山裕隆名義の取引)

被告会社は昭和四五年七月一日より同年七月二八日までの間、原告より委託を受けて丸山裕隆名義で左記の商品先物売買取引を行つた。

(イ)(横浜生糸の取引)

横浜生糸取引所における生糸の先物売買取引は別紙(七)売買明細表記載のとおりであり、その結果、被告会社は、原告に対し売買差損立替金九四三万六、二〇〇円および手数料四九〇万〇、〇〇〇円の債権を取得するに至つたが、他方同年七月八日原告に対し中間利益金として三九〇万五、四〇〇円を支払つているので、結局原告は被告会社に対し清算損金等債務一、八二四万一、六〇〇円を負担するに至つた。

(ロ)(前橋乾繭の取引)

前橋乾繭取引所における乾繭の先物売買取引は別紙(八)売買明細表記載のとおりであり、その結果、被告会社は、原告に対し売買差損立替金三、四三四万〇、〇〇〇円および手数料二四八万四、〇〇〇円の債権を取得するに至つたが、他方同年七月八日原告に対し中間利益金一二〇万九、六〇〇円を支払つているので、結局、原告は被告会社に対し清算損金等債務三、八〇三万三、六〇〇円を負担するに至つた。

(ハ)(東京ゴムの取引)

東京ゴム取引所におけるゴムの先物売買取引は別紙(九)売買明細表記載のとおりであつて、その結果、被告会社は原告に対し売買差損立替金六二七万九、〇〇〇円および手数料一〇八万〇、〇〇〇円の債権を取得するに至つたが、他方同年七月八日原告に対し中間利益金四万八、〇〇〇円を支払つているので、結局、原告は被告会社に対し清算損金等債務七四〇万七、〇〇〇円を負担するに至つた。

(二) 前項の全取引を集計すると、被告会社は原告に対し本件取引清算損金立替金等として、荒井伸介名義の全取引につき金五、五三二万八、〇七八円、丸山裕隆名義の全取引につき金六、三六八万二、二〇〇円、以上合計金一一、九〇一万〇、二七八円の債権を有することとなるが、反面、被告会社が原告から本件取引について預託を受けた委託証拠金の昭和四五年八月二五日現在における額は、(荒井伸介名義)

(1) 横浜生糸口座金三、三五〇万円(原告主張の四、五〇〇万円と昭和四五年五月三〇日一五〇万円(前橋乾繭口座より振替)、同年七月八日一、四〇〇万円の合計六、〇五〇万円から、同月一一日一、四〇〇万円を原告に支払い、同月一三日一、三〇〇万円を品受代金として支払つた残金)

(2) 前橋乾繭口座 金九〇九万六、三〇〇円(原告主張の一、〇七一万四、八〇〇円と同年七月一六日の二、五〇〇万円、乾繭倉荷証券一〇枚から、同年五月三〇日ゴム口座へ振替えた一一万八、五〇〇円、横浜生糸口座へ振替えた一五〇万円、同年七月二四日原告に支払つた二、五〇〇万円、同月三一日品渡のため返戻した乾繭倉荷証券一〇枚を控除した残金である。

(3) 東京穀物(大手亡)口座 金一五〇万円

(丸山裕隆名義)

(1)  横浜生糸口座 金三、五〇〇万円

(2)  前橋乾繭口座 金二、五〇〇万円

(3)  東京ゴム口座 金一、〇〇〇万円の合計一一、四〇九万六、三〇〇円であり、その外に被告会社は原告から昭和四五年五月三〇日に荒井伸介名義の東京ゴム口座に清算金として金一一万八、五〇〇円の支払を受けているので、結局、被告会社の原告から頂託を受けている金額は合計金一一、四二一万四、八〇〇円となる。

(三) そこで、被告会社は原告に対し、昭和四五年八月一四日それぞれの清算損金立替等の支払を求めたが原告はこれに応じないため、同月二五日前記受託契約準則に基づき原告の被告会社に対する前項の預託金を前項の被告会社の原告に対する清算損金立替金等に充当した結果、原告は被告会社に対し右差額金四七九万五、四七八円の清算損金立替金等の支払義務を負うに至つた。

(四) 本件反訴状は昭和四五年一〇月二〇日被告に送達された。

そこで被告は原告に対し清算金四七九万五、四七八円および右金額に対する昭和四五年一〇月二一日から支払ずみまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四 抗弁(反訴請求原因)に対する認否

抗弁事実中、原告が昭和四五年七月一八日荒井伸介名義口座の証拠金として一、四〇〇万円を預託し、同月一一日、一、四〇〇万円の支払を受けたことは否認するがその余の事実は認める。

五 再抗弁(反訴抗弁)

(一) 被告主張の荒井伸介名義の別紙(三)売買明細表(生糸)の番号一七一番から二二一番までの売付の委託、同人名義の別紙(四)売買明細表(乾繭)の番号九二番から同一〇七番までの売付の委託、丸山裕隆名義の別紙(七)売買明細表(生糸)の番号二一番から五三番までの売付の委託および同人名義の別紙(八)売買明細表(乾繭)の番号一七番から二三番までの売付の委託は、いずれも後記のように被告の詐欺に基づくものであるから、原告は、昭和四五年八月三日被告に到達した書面で右取引の委託を取り消す旨の意思表示をした。したがつて原告は右記載の取引による損金および手数料を負担するいわれはない。

(二)(1) 原告は、同年七月三日被告五反田出張所長杉江四郎から「社長(被告会社社長藤谷祐一郎)に最近会つたところ、前橋の乾繭相場のことで、うち(被告会社)で買つている仕手の静岡の栗田さんが直接会社に来られて、業界でうわさされている二五、〇〇〇万円の資金は用意できないから、現在の買玉(当限の買玉約六〇〇枚)を藤谷社長に肩替りしてほしいと頼みに来たとのことです。どうも資金面の様子がおかしいので、社長もその話しには乗らないから納会までには暴落の線が強いと思う。私(杉江)も丸山さん(原告)の買玉をみていると気がもてないから売り方針をとつて下さいよ。」と云われ、さらに、同年月六日前橋乾繭後場一節の立会が始まる前に被告会社の外務員訴外小泉靖雄から電話で「今本社(被告会社)の境野部長から杉江所長に連絡があり、所長から云われたのだが、横浜に外国産乾繭五〇〇枚分の荷が入り、今月の納会に渡るようにすでに継がれているといわれた。仕手(栗田)に受け資金が揃わないところに、この外国産の乾繭が五〇〇枚も渡されたのでは、ひとたまりもなく相場が下がります。とにかく本社からの連絡なのでさつそくあなたに電話を入れました。」と云われた。そのとき原告は「会社(被告会社)自身の考えはどうなのですか。」と訊したところ、訴外小泉は「杉江所長に聞いたところ、会社は弱気です。私(小泉)もそのような材料が会社から伝達されたので不安と心配で一ぱいです。あなた(原告)も売方針をとられた方がよいのではないですか。」と原告に回答した。

(2) 原告は当時前橋乾繭、横浜生糸については別紙(三)(四)(七)および(八)売買明細表から明らかなように大量の買玉をもつており、かつ当時横浜生糸および前橋乾繭ともに値上りの傾向を示していたのであるが、前記訴外杉江所長、同小泉外務員の言は相場の上げ下げの鍵を握つているともいうべき藤谷社長の言を内容とするものであるから、右言を信じてその勧誘に従い同年七月六日より積極的に買玉を手仕舞い全面的売方針に転向した。

(3) しかるに、事実は前記訴外杉江らの言辞とは相違し、同年七月六日以降の相場は下がるどころか上げが大きくなり、毎日のごとく相場は高くなり、前橋乾繭取引所の同月二三日の納会において全受玉一七八枚中一二八枚の現受が行われ、また同月横浜入荷外国産乾繭は四九枚にすぎなかつたのであつて、杉江らは全く虚偽の事実を原告に告げたのである。

(三) さらに、被告は、前橋乾繭については別紙(二)記載中自社欄内、売玉、買玉の同年七月一日以降の数字が示すごとく、同月六日までは売方針をとつていたが、七月八日から七月二六日まで買一点ばりとなり、横浜生糸については別紙(一)記載中自社欄内売玉、買玉の同年七月一日以降の数字が示すごとく、七月七日までは売方針であつたのが、七月八日から七月二七日までは八日、九日除き買一点ばりの取引をしている。

これは、被告が当初相場の下げを予想して売建玉をしていたが、相場が意図に反して上昇を続けるため損害の発生を回避するためにはこれを買方針に転向する必要があると判断するに至り、その方法として、当時被告会社とは逆に、買一点ばりで、しかも、被告会社全建玉の五割ないし七割を占めていた原告に対し故意に虚構の弱気の材料を提供して欺罔し、従来の買方針を売方針に転ぜしめることにより、それに対応した自社玉について売方針から買方針に転じる、いわゆる向い玉の方法によつて相場均衡を保ちつつ、徐々に売玉を買玉にかえたものである。

被告会社が売方針から買方針にかわるためには、誰かがそれに対応する売玉をしてくれなければならないが、相手方が誰であるか判らないと、売と買は損益における敵対行為であるから、その資金力が判らず不安で容易に方針をかええないものである。この点原告を相手とする限り自己の顧客であるため資金力等の事情が明白で、これらの不安はない。したがつて、被告会社は原告を欺罔して買方針を売方針にかえさせ、それに向つて自己の方針をかえたものである。たとえ、被告会社が、当時の取引所における自社玉規制の範囲内の建玉をしたとしても、また、当時被告会社が当限(七月限)の自社玉を建てなかつたとしても、被告の売建玉より買建玉にかえることによつて予想される相場への影響は自社玉規制の数量をこえる場合や、当限に限らないから、被告の欺罔行為を否定しうるものではない。

原告が被告主張のように納会に現物を引渡したり、売建を手仕舞つて利喰つたり、追加証拠金の請求を受けて応じたりなどしたのは、いずれも原告が被告の詐欺行為に気付いた昭和四五年七月二五日以前のことであり、それまでは原告としては被告を信用してなしたものであつて、これを以つて被告の詐欺行為を否定しうるものではない。

六 再抗弁(反訴抗弁)に対する認否

(一) 再抗弁事実(一)の事実中、原告主張の日に原告主張の書面が被告に到達したことは認める。

(二) 同(二)(1)の事実は否認する。杉江所長や小泉外務員が原告に伝えたのは相場情報であつて、伝えた内容は原告主張のとは相違する。

同(2)の事実は否認する。

同(3)の事実のうち、同年七月六日以降も相場が上つたこと、前橋乾繭取引所において一二八枚の現受が行われたこと、横浜に乾繭四九枚が入荷したことは認めるが、その余は否認する。

同(三)の事実のうち、被告会社の前橋乾繭および横浜生糸の自社玉売買枚数が原告主張のとおりであることは認めるが、その余は否認する。

(三) 原告の主張は、次のとおり取引所における集団的な投機取引のルールを無視した一方的なものであり、原告が被告に対し自己の相場に負けた損金を被告に負わせようとするもの以外のなにものでもない。

(1) 被告会社の従業員杉江らが原告に伝えたものは単なる相場情報であるから、それが売建方針の意見であつたとしても、被告会社がその責任を負う筋合のものではない。このことは数年前まで商品取引業界で外務員をしていた原告としては当然に熟知していることである。

(2) 昭和四五年七月三日当時の前橋乾繭および横浜生糸における相場の動向は、極めて流動的であり、必ずしも価額上昇の材料のみではなく、被告会社が原告主張のように自社玉を売玉から買玉にかえたからといつて、被告会社が損害を免れるという保証は全然存しない。

(3) また、当時の前橋乾繭および横浜生糸の各取引所における全建玉数からみて、被告会社が自社玉を原告の建玉と関係なく、売建から買建にかえたとしても、相場そのものが左右されることはない。

(4) 被告会社の当時における自社玉はいずれも取引所における規制範囲内であり、しかも、被告会社は当限玉を避けてヘッジ(いわゆる保険つなぎ)の範囲内で消極的な建玉の方針をとつており、現に本件当時も当限玉(七月限)の建玉は避けている。また、被告会社は、原告が前橋乾繭につき売建玉を止めた昭和四五年七月一〇日以降および原告が横浜生糸につき売建玉をしていない日についても、買玉を一貫して建てており、これは被告会社が原告の建玉と関係なく買方針を一貫した現われである。

(5) 原告は、被告会社から欺罔されたという売建玉につき、前橋乾繭の納会において、当限の一部につき現物を引渡したり、途中で手仕舞つて利喰つたり、被告会社から右建玉についての追加証拠金の請求を受けるとこれに応じて差入れたり、また、委託証拠金の一部解除されるとこれを引出したり、更に、右建玉について強制手仕舞を受ける前日に被告会社の杉江所長に対して、売建玉を買建玉にかえた方がよいのではないかとの相談をもちかけたり等、欺罔されたと主張する売建玉を正当なものと承認した行動をとつている。

(6) 原告は、被告の詐欺の目的が自社玉による損害を避けるためであるというが、昭和四五年七月一日から同月六日までの被告会社の横浜生糸と前橋乾繭における自己繰越玉およびその値洗によると、横浜生糸で約六五〇万円から八五〇万円、前橋乾繭で約一〇〇万円から一五〇万円前後の損勘定となるに過ぎないのに、被告会社としては同年四月一日から同年五月三一日までの横浜生糸と前橋乾繭の取引により清算益金として既に金四八九二万二、〇八〇円をえており、被告会社としては、顧客である原告を欺罔してまでその主張のように自社玉を売方針から買方針に転換する必要はない。

七 再々抗弁(反訴再抗弁)

原告主張のように原告の売新規玉につき被告の詐欺行為が認められるとしても、原告は、その主張する横浜生糸の売建玉につきこれが被告会社の詐欺行為によつてなされたことを知つた昭和四五年七月二七日の翌日、自から右取引を手仕舞つたが、右行為は民法一二五条に該当するから取消しうべき右売新規玉を追認したとみなすべきである。

八 再々抗弁(反訴再抗弁)に対する認否

被告の再々抗弁事実は否認する。

第三  証拠<略>

理由

第一本訴についての判断

一本訴請求原因事実は当事者間に争いがなく、同抗弁事実も原告が昭和四五年七月被告に一、四〇〇万円を証拠金として預託し、同月一一日その支払を受けたことを除いては、当事者間に争いがなく、右争いのある事実も後記のように本件争点の解明には、直接影響がない。

二そこで再抗弁事実について検討する。

(1)  まず、<証拠>によれば、原告は同年七月三日前記丸山裕隆名義の横浜生糸、東京ゴムの各先物取引の委託証拠金四、五〇〇万円を被告に預託するため千葉興業銀行東京支店から五反田出張所に向う車に同出張所長杉江四郎と同所外務員小泉靖雄と同乗したが、その際、右杉江は原告に「社長(被告会社社長藤谷祐一郎)に最近会つたところ、前橋の乾繭相場のことで、うち(被告会社)で買つている仕手(相場師)の静岡の栗田さんが直接会社に来られて、業界でうわさされている二五、〇〇〇万円の現受資金は用意できないから、当限の買玉約六〇〇枚を藤谷社長に肩替りしてほしいと頼みにきたとのことです。どうも買方の資金の様子がおかしいので、社長もその話には乗らないから納会までには暴落の線が強いと思う。私(訴外杉江)も丸山さん(原告)の買玉をみていると気がもてないから売り方針をとつて下さいよ。」と云つたこと、原告としては訴外栗田が多量の前橋乾繭の買建玉を現受しないとすれば、相場が暴落することは容易に予測されるところから、心の動揺はかくしきれなかつた。ところが、さらに同年七月六日前橋乾繭の後場一節の立会が始まる前、原告の建玉を担当していた小泉から原告に「今本社(被告会社)の境野部長から杉江所長に連絡があり、所長から私に云われたのだが、横浜に外国産乾繭五〇〇枚分の荷が入り、それが前橋乾繭の今月の納会に継がれていると云われた。仕手に現受け資金が揃わないところに、加えてこの外国産の乾繭が五〇〇枚も前橋乾繭に引継がれたのではひとたまりもなく相場を下げますね、とにかく本社からの電話なのでさつそくあなたに電話を入れました。」との電話連絡を受けたこと、前橋乾繭取引所における相場は、同年五月下旬暴落した値段がその後値上がり傾向を示していたが七月初旬にいたつて一進一退となりやや停滞した気味となつたこと、七月初旬当時春蚕の不作による玉不足が伝えられる一方で、いわゆる静岡の仕手筋といわれた栗田嘉起が前橋乾繭および豊橋乾繭につき当月限りに大量の買玉を建てていることが公知の事実とされ、しかも値段が今一歩上昇すれば、利喰いできるであろうとの観測が業界紙で伝えられ、その動向が警戒されていたこと、右栗田は、もと被告の静岡出張所の外務員として、当時同出張所長であつた被告代表取締役藤谷祐一郎の許で勤務していたことがある関係で藤谷とは親しく、前記前橋乾繭の買付も被告と他の一社を介して行なつていたこと、原告は、これらの事実を前記杉江の話をきく前から知つていたこと、当時前橋乾繭取引所に継がれる外国乾繭の数量は、最高で一〇〇枚位であり、一納会に現受される乾繭は内国産・外国産合わせて三〇〇枚位であつたこと、原告は、栗田と親しい藤谷からの情報でもあり、栗田が大量の前橋乾繭の買玉を現受しないで手仕舞することになると、それだけでも相場が著しく下落すると予測されるところへ大量の輸入乾繭が継がれるとなると、相場の大暴落は必至であり、前橋乾繭が大暴落すると横浜生糸も当然に暴落すると考え、昭和四五年五月上旬から一貫して買方針をとつていたのを前橋乾繭につき同年七月六日から売方針に転じ別紙(二)の原告欄記載のとおり買玉を手仕舞つて売玉を建てまた、横浜生糸についても同日同様売方針に転じ別紙(一)の原告欄記載のとおり買玉を手仕舞つて売玉を建てたが、その後の前橋乾繭および横浜生糸の相場は引続き上昇を続けたために別紙(三)、(四)、(七)、(八)の売買明細表記載のとおりの清算損を生じたことが認められ右認定に反する証人杉江四郎、同境野典弘の各供述部分は前掲各証拠にてらし信用できず他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

右認定の事実によると、原告は、前記杉江および小泉から伝えられた情報が真実であると思い、前橋乾繭および横浜生糸の相場の暴落が必至であると考えて、それが決定的な動機となつて、種々の予測情報を排して従来の買方針を一変して売方針に転換したものというべきである。被告は、右杉江らが原告に伝えた情報は、単なる相場情報であつて商品外務員の経験のある原告の意思決定を誤まらしめたものでないと主張し、原告本人の尋問の結果によると、原告が商品取引員の外務員の経験を有し、かつ本件取引以外にも商品取引をしたことがあることが認められるけれども、前記で認定した杉江らが原告に伝えた情報は、その内容からいつて、外務員が顧客に対してする相場情報や意見の域を脱し、極めて具体的、確定的なものであり、原告が外務員の経験を有することを斟酌しても、右の推論を覆すことはできず、他に右推論を左右するに足りる証拠はない。

(2)  次に、被告会社従業員の杉江、小泉らの前記言辞が果して、原告に対する欺罔行為であるか否か、しかも、それが被告会社の意図に基づくものであるか否かにつき考える。

(イ) まず、被告会社の横浜生糸の昭和四五年六月一日から同年七月二八日までの自社玉の残玉が別紙(一)残玉表の自社玉欄記載のとおりであり、また、被告会社の前橋乾繭の右期間における自社玉の残玉が別紙(二)残玉表の自社玉欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。そこで、被告会社の横浜生糸の自社玉残の日別の動向に対比させて、前記当事者間に争いのない原告の荒井伸介および丸山裕隆名義の昭和四五年六月一日から同年七月二八日までの横浜生糸の残玉を記載すると、別紙(一)残玉表のとおりとなり、また、被告会社の前橋乾繭の自社玉残の日別の動向に対比させて、前記当事者間に争いのない原告の荒井伸介名義および丸山裕隆名義の右期間の前橋乾繭の残玉を記載すると別紙(二)残玉表のとおりとなるが、これによると、被告会社は、原告が被告会社の従業員杉江や小泉の言動によつて、従来は買方針で一貫していたのを売方針に転換をはじめた翌日の昭和四五年七月七日から、従来の売方針を買方針に転換し、同月九日に原告が転換を終了したときにそれに対応して被告会社も逆に転換を終了し引続き買方針に向つており、両者のこの動向からみる限り、いわゆる、向い玉の方法がとられていると推認することができる。

(ロ) <証拠>によると、被告代表者藤谷は同年七月初旬ごろ栗田から乾繭の肩替りについて相談を受けたことがないこと、被告の第一事業部長である境野が同業者から入手した外国乾繭の七月における繭の輸入量は九七〇〇キロ余(48.56枚)であつたこと、右栗田が乾繭についての買建玉を投げることもなく、また、外国産の乾繭も大量に相場に引きつがれることもなく、前橋乾繭および横浜生糸の相場は原告が買方針から売方針にかえてからも上昇傾向をたどつたこと、なお、前橋乾繭の七月限の納会には同取引所で一七八枚の受渡が行われたが、そのうちの一二八枚が被告会社を通じて現受けされたこと、また、前橋乾繭にひきつがれ、右納会に現受けされた外国産乾繭は全受渡数量が三〇枚で、うちトルコ産が二二枚、イタリヤ産が八枚に過ぎなかつたことを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によると、右杉江らの原告に対する前記(1)の言辞は虚偽であつたというべきであり、しかも、被告会社が栗田の相場に対する態度から自社玉の売り方針は不利と判断し、これを避けるために、原告をして買玉を手仕舞させ、新規の売建玉を建てさせ、これに対しいわゆる、向い玉の方法をとつて買方針に転換しようとの意図に基づきなされたものと推認することができる。

(ハ) 被告は、被告のした自社玉は、自店扱いの建玉が一方に偏することを防ぐために消極的にするものであると主張し、被告代表者尋問の結果のなかには、右主張にそうよう供述する部分があるけれども<証拠>によると、必ずしもそうとはいえないのみならず、前橋乾繭および横浜生糸の七月七日から二九日までの取引においては、積極的な建玉がみられるところであるから右供述部分は措信することができないのである。

ところで被告は、当時の前橋乾繭および横浜生糸における相場の動向としては必ずしも上昇するとは限らず極めて流動的であつて、被告が自社玉を売方針から買方針にかえたからといつて損害を避けうるとは限らないというが、確かに、<証拠>によると、当時、生糸および乾繭相場の予想として弱気の意見のあつたことは否定できないが、右弱気の意見は、前記認定したとおり、当時栗田嘉起が相当の資金的余裕をもつて、被告会社らを介して相当大量の当月限(七月限)の前橋乾繭の買玉を建てており、業界でも右栗田の去就を警戒して出されていた事実と栗田と被告および藤谷との関係からすると、被告会社が前記のような弱気の相場予想に対して、強気に出ることは自然であり、この自社の方針の転換に(その結果損害が増大する結果となるかも知れないことは、相場の常である)原告の玉が利用されたというのであるから弱気の相場予想があつたことが前記推認を左右しない。

また、被告は、当時の前橋乾繭および横浜生糸の各取引所における全建玉数からみて、被告が自社玉を売方針から買方針にかえても、その数では相場に変動を与えることはないというが、被告会社の杉江が原告に栗田の投げをつげた昭和四五年七月三日における被告の自社売玉残が、横浜生糸で三七八枚、前橋乾繭で一三一枚であつたことは当事者間に争いなく、また、本件口頭弁論の全趣旨からみて成立を認めうる乙第三三号証の三によると、右同日の前橋乾繭の取引所における全取引高が三五七六枚であるから、枚数の対比からみる限りでは被告会社が売方針から買方針にかえ、右残玉を売から買にかえても、相場の変動に影響を与えることがないように思えるが、<証拠>によると、右同日頃の相場の情況としては、前橋乾繭については一キロあたり三〇〇〇円前後、また、横浜生糸は一キロあたり八、〇〇〇円前後につき仕手筋も加わつて攻防をなしており、安易に買玉も売玉も動かし難い緊迫した状態にあつたことを認めることができ、右状態の下では被告会社が右枚数の売玉を買玉に切替えることは困難であつたと推測でき、右推測を覆すに足りる証拠はない。

また、被告は、自社玉は取引所の規制に従つており、現に当限玉については建玉をしておらず、しかも、原告が売方針後において売を建てていないときでも被告は一貫して買玉を建てていることからすると、被告の売玉から買玉への転換は原告の買玉から売玉への転換に向つてなされたものではないというが、<証拠>によると、被告会社の自社玉が当時における各取引所の規制にふれていないことおよび被告は原告が売玉を建てていないときでも一貫して買玉を建てていることを認めうるが、また右証拠によると、被告は、買玉を順次利喰して利益を得てさらに新たな建玉を建てて原告の売残玉に対応されていたことが認められるから、右事実から被告の欺罔の意思の存在を否定することはできない。また、成立に争いのない乙第四一および四二号証によると、被告会社が前橋乾繭および横浜生糸につき当月限(七月限)を建てていないことを認めうるが、<証拠>によると、当限と先限との間には左程の価額の開きはなく、両者は相互に影響していることを認めることができるから、当限を建てなかつたから、被告が原告の玉の転換に乗じたものではないということはできない。

また、被告は、被告の昭和四五年七月一日から同月六日までの自社玉の横浜生糸と前橋乾繭の値洗損が、前者で約六五〇万円から八五〇万円、後者で約一〇〇万円から一五〇万円前後であるが、被告は同年四月一日から同年五月三一日まで前橋乾繭と横浜生糸の自社玉で既に四、八九二万二〇八〇円の利益をえていたから、被告を欺罔してまで損を避ける必要はないというが、<証拠>によると、被告がその主張のように既に自社玉により利益をえており、本件の売玉による前記値洗損を差引いても充分に利益の残ることが認められるが、しかし、それだからといつて、被告が更に利益を追求しなかつたとの保証はなく、右事実をもつて、被告に欺罔の意思がなかつたとすることはできない。

また、被告は、原告が売方針に転換後においても、その一部を手仕舞つて利喰つたり、納会に現物を渡したり、追加証拠金を納めたり、杉江に売玉の処分に相談をもちかけており等して、原告自身で転換した売建玉が正当になされたことを認めていたというが、<証拠>によると、右の事実をいずれも認めることができるが、原告本人尋問の結果によると、原告らの右行動は、原告が前橋乾繭の七月限の納会終了後において被告の従業員杉江らの言動に疑をもつにいたつた以前のことであつて、これをもつて原告が買玉から売玉に転換したことを正当と自認していたとの徴表となすことはできない。

他に、前記推定を覆すに足りる特段の事情を認めるに足りる証拠はない。

(3)  商品取引員である被告が顧客である原告に対し、サービスとしての相場情報や意見をこえた虚偽の事実を告げて、原告を錯誤に陥らせ、被告の意図する方向での委託の意思表示をさせることの違法であることは、多言を要しない。

(4)  そうだとすると、原告の荒井伸介および丸山裕隆名義の横浜生糸および前橋乾繭の取引中、昭和四五年七月六日以降の別紙(三)売買明細表の番号一七一号から二二二号までの取引、同(四)の売買明細表の番号九二号から一〇七号までの取引、同(七)の売買明細表の番号二一号から五三号までの取引、同(八)の売買明細表の番号一七号から三三号までの各取引は、原告主張のとおり被告会社がその従業員杉江および小泉を介してなした詐欺行為に基づき原告が錯誤に陥ちいるに至つた結果なしたものであるという外はない。そして、原告は被告会社に対し昭和四五年八月三日到達の書面をもつて右取引における新規玉を詐欺によるものとして取消す旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

三ところが被告は、原告が前記荒井伸介および丸山裕隆名義の横浜生糸の新規玉につきこれが詐欺により取消しうるものであることを知つた後に、自から右玉を手仕舞つたから、民法一二五条所定の追認があつたものとみなすべきであると抗争する。しかしながら、<証拠>によると、前橋乾繭および横浜生糸の手仕舞は、原告が右新規玉の追加証拠金を納入しないために被告が原告に対し若し自発的な手仕舞をしない場合には強制手仕舞をする旨強要したことに基づくものであるから、右所為をもつて民法一二五条所定の行為があつたと解することはできない。

また<証拠>によると、原告は丸山裕隆名義の東京ゴムの先物取引について同月二八日自ら手仕舞つていることが認められるけれども、この事実をもつて、詐欺によつて委託した前橋乾繭および横浜生糸の委託を追認したということはできないから被告の再々抗弁は理由がない。

四原告は、前項の売建玉および手仕舞玉を無効とした場合に被告会社に対し、委託証拠金残等合計金一一、八九六万五、二二二円の返還を求めうる、というので考える。

(1)  前項の売建玉を無効とした場合に被告会社に預託されている委託証拠金およびその清算残は次のとおりである。

(イ)(原告の請求原因(一)の(1)の委託証拠金につき)

原告の被告会社に対する請求原因(一)の(1)ないし(6)記載の事実については当事者間に争いがなく、(3)の証拠金一五〇万〇、〇〇〇円のうち一〇七万四、〇〇〇円の損金、(6)の証拠金のうち七四〇万七、〇〇〇円の損金を差引くべきことは原告の自認するところである。この事実によると、原告が被告会社に返還すべき委託証拠金が総額で一一、八七三万三、八〇〇円であることを認めることができる。ところで、被告は、右委託証拠金の外に、原告が被告会社に請求原因(一)の(1)口座(荒井伸介名義の前橋乾繭口座)に昭和四五年七月一六日金二、五〇〇〇万円、同(2)の(ロ)の口座(荒井伸介名義の横浜生糸口座)に同年七月八日金一、四〇〇万円の委託証拠金を預託していたと自認するが、この点については、更に、抗弁として、右委託証拠金は同月一一日と同月二五日忙いずれも原告に支払われたと主張し、これらの事実はいずれも<証拠>によつて認めることができる。したがつて、被告の右主張ないし抗弁は委託証拠金の総額が前記認定のとおりであることにつき影響を与えない。

次に、被告は原告に対し右預託されている委託証拠金のうち、請求原因(一)の(1)の口座(荒井伸介名義の前橋乾繭口座)より昭和四五年五月三〇日金一六一万八、五〇〇円、また、同(2)請求原因口座(荒井伸介名義の横浜生糸口座)より同年七月一三日に品受代金として金一、三〇〇万円を原告に支払つた旨主張し、前者については<証拠>、後者については<証拠>によつて、これを認めることができ右認定を覆すに足りる証拠はない。

してみると、原告の被告に対する原告主張の前記委託証拠金は前記総額一一、八七三万三、八〇〇円から右支払合計金一、四六一万八五〇〇円を差引いた残額一〇、四一一万五、三〇〇円となる。

(ロ)(原告の請求原因(二)の清算金残につき)

原告の請求原因(二)の事実については<証拠>によると、原告が丸山裕隆名義の横浜生糸の取引を昭和四五年七月八日に手仕舞つた結果、金四四五万五、〇〇〇円の売買差益金をえたことを認めることができ右認定に反する証拠はなく、右事実から原告の自認する弁済を受けた三九〇万五、四〇〇円荒井伸介名義の前橋乾繭口座の不足金四七六〇円と同人名義の前橋乾繭口座現物二〇枚の保管料不足金二万一、八一八円、丸山裕隆名義の前橋乾繭口座の不足金二九万一六〇〇円この合計四二二万三、五七八円を差引くと、原告の被告に対する丸山裕隆名義の横浜生糸の清算金残が金二三万一、四二二円であることを認めることができる。

(ハ) 前記(イ)の委託証拠金合計一〇、四一一万五、三〇〇円と前記(ロ)の委託証拠金等残合計二三万一、四二二円の合計金一〇、四三四万六七二二円が、原告の被告会社に返還を求めうる金額となる。

五叙上の事実によると、被告会社は原告に対し委託証拠金残等合計金一〇、四三四万六七二二円およびこれに対し本件訴状送達の翌日であることが記録上明らかである昭和四五年九月五日から右完済に至るまで、年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払義務がある。

第二反訴についての判断

反訴について、抗弁が理由があり、反訴請求の理由がないこと本訴についての説示のとおりであるから、これをここに引用する。

第三結論

よつて、原告の本訴請求については前項の請求の範囲内で理由があるから、これを認容し、その余の部分を棄却することとし、また、被告の反訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民訴法九二条本文、八九条を適用し、仮執行の宣言については相当でないと認められるからこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(井関浩 山口和男 來本笑子)

別紙(一)〜(九)<省略>

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